チェックポイントチャーリーとベルリンの壁のお話【世界一周34ヵ国ドイツ】
2018年10月6日
今日はベルリンの観光地をもう少し回ろうと思います。
行くべきところは行ったのですが、本日の夜行便でポーランドの首都、ワルシャワに向かうのですが、時間が余ったのでもう少し周ろうと思います。
まずはチェックポイントチャーリーへ。
ここもブランデンブルク門同様、ベルリンの壁が建設された1961年から1990年のおよそ30年間、検問となっていたところでした。
主に、外交官や外国人西側諸国群の関係者が、通過するための検問所でした。
ここでは壁建設後、「最初で最後の米ソの直接対峙」が行われました。
冷戦の名の通り、彼らが直接対峙することはありませんでしたが、ここでは実際に米ソの戦車が出動して、お互い脅しあうという瞬間がありました。
しかし、両者にとって、何も得にならなかったので、水面下の交渉をしたのち、ソ連のほうから兵を引いて、幕を下ろしました。
ここはショッピングの中心となるところなのですが、こんなところにもベルリンの壁があるとは…
やはり忘れてはいけない歴史なんでしょうね。
そして更に歩くと「ベルリンフィルハーモニー」の建物!
くそっ!
ちょっといつもより怒りが多いのは気のせいでしょうか?
今日はベルリンの観光地をもう少し回ろうと思います。
行くべきところは行ったのですが、本日の夜行便でポーランドの首都、ワルシャワに向かうのですが、時間が余ったのでもう少し周ろうと思います。
まずはチェックポイントチャーリーへ。
ここもブランデンブルク門同様、ベルリンの壁が建設された1961年から1990年のおよそ30年間、検問となっていたところでした。
主に、外交官や外国人西側諸国群の関係者が、通過するための検問所でした。
ここでは壁建設後、「最初で最後の米ソの直接対峙」が行われました。
冷戦の名の通り、彼らが直接対峙することはありませんでしたが、ここでは実際に米ソの戦車が出動して、お互い脅しあうという瞬間がありました。
しかし、両者にとって、何も得にならなかったので、水面下の交渉をしたのち、ソ連のほうから兵を引いて、幕を下ろしました。
その前にはベルリンの壁についての歴史を示した、パネルが並べられており、無料で見ることができます。
私もベルリンの壁については、うっすらとしか知らなかったので、パネルや写真を見て改めて、ここでどんなことが起こったのか、知ることができました。
昨日は観光メインの記事だったので、ここで簡単に説明しようと思います。
分割して東西ドイツへ
1945年ドイツの無条件降伏によって幕を閉じた、第二次世界大戦。
そして、敗戦国ドイツはポツダムの会談により、戦勝国に分割統治されることになりました。
その4ヵ国が、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連。
4か国はドイツの広大な土地をそれぞれ分割統治しましたが、首都ベルリンだけは、ベルリンのみでそれぞれ4ヵ国が分割統治することになりました。

左クリームと右赤が米英仏領
<Wikipediaより>
なのでソ連が統治する土地の中に、チョコンと米英仏の土地が孤立している形になりました。
その後、3か国はソ連と対立するようになり、この東西ドイツの分断が生まれたのです。
なぜ壁は建設されたのか?
元々は壁はなく、東西ドイツは自由に行き来する事が可能でした。
しかし、それがソ連を悩ませることとなるのです。
それが、東ドイツから西ドイツへの市民の流入です。
米英仏の管理する西ドイツ、ソ連の管理する東ドイツ。
方や資本主義、方や社会主義。
どこまでも平等の社会主義より、資本主義のほうが頑張れば、頑張るほど給料がいい。
そうすると自然に優秀な人たちが、西に流れていきます。
すると、
東は生活がしにくくなる
↓
更に人が流出
↓
生活がしにくくなる
↓
更に人が流出
この悪循環が起こっていました。
その流出の逃げ道として多くの人が利用していたのが、ベルリンです。
怒ったソ連は、一度西ベルリンのすべての交通やインフラを遮断!
西ベルリンを陸の孤島にします。
これが「ベルリン封鎖」。
しかし、米軍が西ベルリンに空輸で物資を大量に送り、ソ連の目論見は失敗に終わります。
これにより両社の対立はなお深まっていきます。
ベルリンの壁建設
封鎖は解除されましたが、その後西ドイツへ逃げる住民は後を絶ちませんでした。
特にベルリン封鎖後は、東ドイツ国民の6人に1人の割合で、西へ逃げていきました。
それも若い人が多かったため、東ドイツ側は深刻な打撃でした。
その後、米ソや東ドイツは何度か会談して、何とか西ドイツを締め上げようとしますが、当然アメリカがそれを認めるはずがありません。
そして、最終的に「ベルリンの壁建設」という強硬策に出るのです。
壁の建設は、軍のトップや一部の人間にしか知らされていませんでした。
高官たちも封鎖されるつい3時間前に知らされたほど。
そして、1961年8月13日の午前0時、西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離!その後にコンクリートの壁が建設されました。
何も知らされていない市民の中には、気が付いて、ぎりぎりで電車やバスに乗る人もいましたが、中には間に合わない人や気づかない人もいました。
家に帰れない人や愛する家族とバラバラになってしまった人…
こうして、一夜にして、西ベルリンと東ベルリンは分断されてしまったのです。
それでも収まらない人口流出…
アメリカはこの出来事に関して、静観していました。なぜなら、壁は東ドイツから1ミリも出ない位置に建設されていて、その他の項目も条約自体は破っていなかったからです。
下手に動くことはできませんでした。
なので、壁はそのままにされました。
一番打撃を受けたのは市民です。
家族とバラバラになりましたが、市民が東西を行き来するには許可証が必要になりました。
そして、無理やり壁を越えようとするものは逮捕されるか、もしくは射殺されました。
中には川を渡ろうとして、溺死した人もいます。
それでも逃亡者が後を絶ちませんでした。
1961年から1988年までに、未遂・準備を含めておよそ6万人以上がベルリンの壁を越えようともくろみました。
車のトランクに細工したり、川を泳いで渡ろうとしたり、自前で潜水艦を作ったり…果てはトンネルを掘って行こうとした者までいます。
しかし、成功したのは5000人ほど、多くが失敗に終わりました。
ベルリンの壁で死んだ者は200人に及ぶと言われています。さらにそれ以外を含めると1200人以上がこの冷戦の犠牲者となったと言われています。
壁の崩壊
西ベルリンの市民はこうした現状を見て、非難を強めていきました。
そして、壁に近づける西側の壁に落書きするようになりました。
これが現在のベルリンの壁のストリートアートの始まりです。
1985年、ソビエト連邦共産党書記長にゴルバチョフが就任。
ペレストロイカ(改革)を推し進めて、冷戦が終結に向かっていきます。
先にハンガリーとオーストリアを分断していた鉄条網が撤去。
それにより、オーストリア経由で西に逃れる人が多くなり。
もう壁は意味をなさないものとなっていました。
壁崩壊のきっかけは、思わぬところから来ました。
それは一人の失言から起こりました。
1989年11月9日、東ドイツの総会で、この日の翌日から施行予定の出国規制の緩和の政令案を決定しました。
しかし、その内容をよく把握していない広報担当者のジャボフスキーは記者会見で
「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」
と発表し、おまけにいつから発効するのかという記者の質問に
「私の認識では『ただちに、遅滞なく』です」
と言ってしまいました。
それを聞いた東ドイツ市民がベルリンの壁へ殺到しました。
本当はまだまだ壁が開かれるのは先の話だったのですが、この発言が決定打となりました。
押し寄せる市民に困った国境警備隊が、国境ゲートを開放。
そして日付が変わった、11月10日どこからか持ってきた重機でベルリンの壁は壊されることとなりました。
こうしてベルリンの壁は崩壊したのです。
以上が概要です。暇があったら、観光する前に読んでみてください。
ただ壁を眺めるだけじゃなくて、こうした歴史を知ってると、また見方が変わってきますね
あのキスの戯画も違った感じ方をもって、眺められると思います。
残りの観光…
こうしてベルリンの壁は崩壊したのです。
以上が概要です。暇があったら、観光する前に読んでみてください。
ただ壁を眺めるだけじゃなくて、こうした歴史を知ってると、また見方が変わってきますね
あのキスの戯画も違った感じ方をもって、眺められると思います。
残りの観光…
隣には、近代的な建物「ソニーセンター」
ここはショッピングの中心となるところなのですが、こんなところにもベルリンの壁があるとは…
やはり忘れてはいけない歴史なんでしょうね。
そして更に歩くと「ベルリンフィルハーモニー」の建物!
そして最後にベルリンの絶景教会「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」に行こうと思います。
休日は要注意…
絶景教会へは「バルリン動物公園駅(Zoologischer Garten Bhf)」から歩いていけます。
駅名にもなっているベルリン動物園にはパンダがいるようで、入り口も中華風です。
そこから歩いて10分程で「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」に着きます。
ドイツ皇帝「ヴィルヘルム一世」をしのんで建てられた教会。
ここは、戦争で壊された古い部分と、新しく建てられたモダンな建物の融合が特徴です。
天井画がキレイ
そして、新しい部分が、絶景と勇舞なのですが。
手前の音楽ホールみたいな部分が新しい
結婚式で入れませんでした
本来なら写真中央右の黄金のキリストが、青い光を背景につるされてるのが見えるはずなのですが…
ちょっといつもより怒りが多いのは気のせいでしょうか?
まあ入れないのは仕方ありません。
皆さん、土曜日訪れる際は注意してください!
なんか微妙な終わりになってしまいましたが、ベルリンの観光を終えて、隣の国に向かおうと思います。
では―
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