ワルシャワのヴェルサイユ?と世界遺産の旧市街とその歴史【世界一周36ヵ国ポーランド】
2018年10月8日
ワルシャワを観光するのだったら覚えておいてほしいのが、ワルシャワの博物館は無料デーがある事、しかも日曜が多いです。(無料になるのは博物館によって違います)
昨日日曜日!
行っとけば良かった…と後悔しつつ回ります。
本日、月曜は定休日の博物館も多いので注意して回りたいですね!
その前に朝ご飯
食べたのはポンチキと呼ばれるポーランド伝統のドーナッツ
中にはローズジャムがぎっしり
ふんわりしてておいしい
ポーランドには、四旬節の直前の木曜日に「脂の木曜日」と呼ばれる日があり、この日はポンチキを始め、お菓子やケーキなどを大量に買って、一気に食べる習慣があります。
しかも数個じゃなくて、数10個食べる猛者もいます。
嬉しい日だけど、その次の日乗る体重計が怖すぎますねw
さて、まず行くのはヴィラヌフ宮殿。
17世紀末の国王、ヤン3世ソビエスキの夏の宮殿として建築されました。
その豪華さから「フランスのベルサイユの様だ」と言われてるんだとか
まあ、どんなものか見てみましょう。
確かにキレイだけども…
バスは何カ所からか出ていますが、私は中央駅のバスを利用しました。
519番のバスで行くことができます
時刻表
運賃は4.40ズウィティ
そして、降りたところから少し歩くと着きます。
入る前に20ズウィティでチケット購入。
宮殿内部は入る時間が決まっているのですが、まあ平日に行けば大体すぐ入れます。
これが、ヴィラヌフ宮殿!
実物も綺麗なんだけど「ヴェルサイユ宮殿は言い過ぎ」かと…w
そもそもベルサイユに比べると、だいぶサイズが小さい!
中もまあまあ豪華
写真前もするし、収蔵品はある程度豪華だから、行って良かったと思うけど、ホントにヴェルサイユは言い過ぎw
終った後に散歩した園内の紅葉がとても綺麗でした。
そして、バスで旧市街に向かって行く途中で…
降りてお昼ごはん。
脂の日じゃなくても脂なポーランド
Zapiecekザピチエックと呼ばれるポーランド料理が楽しめるお店♪
ここはチェーン店で市内に何店舗かあります。
中はかわいい内装で、ウェイトレスはみんなポーランドの伝統衣装を着ています。
かわいい
使う食器もポーランドの有名な「ボレスビエツ」を使っています。
ポーランドらしい雰囲気を味わえるので、観光客に人気♪
そして食べるのは、ピエロギと呼ばれるポーランド版の餃子!
揚げタイプと煮タイプがありますが、今回は揚げたものを選びました。
上に掛かってるのは、肉の入ったラードなどでできた油のソース!
またまた高カロリーなw
いろんな具のミックスを選んだので、具はチーズや肉など様々…
ホントに餃子感覚で、なじみのある味だしおいしいけど、油スゴイwww
煮タイプの方が、まだよかったかもしれない。
やはり寒い国は、カロリー食が増えるのかなぁ
果物を入れた甘いピエロギもありますよ!
そっちもおいしそうだから、今度来た時試してみたいなぁ…
食べ終わったら、世界遺産にも登録されているワルシャワ旧市街へ
不屈の精神からの世界遺産
旧市街に入るとすぐ見えるのが旧王宮です。
王の住まいとしてだけでなく、大統領執務室や、士官学校、国立劇場がおかれるなど、様々なシーンで活躍した建物。
とあり、中は豪華で絶対見た方がいいのですが、今回は他に行きたいところがあるので、省きました…
カラフルな小道を抜けると…
旧市街広場に着きます。
ここにはワルシャワのシンボルである人魚像が建っています。
こっちは、デンマークの人魚よりだいぶ元気がよさそうですw
その近くには「バルバカン」と呼ばれる円形の砦があります。
非常に珍しいもので、ヨーロッパに3カ所しか現存してないそうです。
ところで、この旧市街実はそんなに古くないのです。
なぜなら、一度街はナチスドイツによって、徹底的に破壊されているからです。
しかし、戦後街を愛してやまない市民たちの手によって、絵や写真をもとに再現することになりました。
その再現性と言ったら「ひびの1本にいたるまで」忠実に再現したと言われるほど!
その不屈の精神により1980年、世界遺産に登録されるに至りました。
街には、建物の前に絵や写真が飾られているのを見ることができます。
どれだけ、再現されているか比べてみると面白いと思います。
街を守る為、必死に抵抗したワルシャワ蜂起!しかし…
そんなワルシャワ市民の苦難の歴史を知れるのが、ワルシャワ蜂起博物館
1944年、当時ドイツに占領されていたポーランドでしたが、ソ連の赤軍の活躍により、ドイツは少しずつですが敗走を重ねていました。
そして、7月30日には赤軍は、遂にワルシャワまで10km地点まで迫りました。
そこで、ワルシャワにいるレジスタンスに蜂起を呼び掛けたのです。
それを聞いて市民たちは立ち上がりました。
「ソ連軍が来るなら、ワルシャワを取り返せる!」と…
そして8月1日17時、5万人の国内軍が蜂起を開始。ドイツ軍の兵舎や補給所を襲撃しました。
この時刻は「W」と呼ばれていて、今でも毎年この時刻になると、市民が1分間の黙禱をささげます。
作戦は始めは成功していました。
奇襲もあり、戦局を有利に進められたポーランド軍は次々とドイツ軍を捕虜にしていきました。
しかし、それは長くは続きませんでした。
7日には、国内軍は北と南に分断されてしまします。
それでもまだ必死の抵抗をします。アメリカやイギリスの補給などもあり、何とか持ちこたえますが、それに対しドイツ軍は、戦車や重火器を使い市内を破壊。
立てこもっている市民をどんどん追い詰めていきます。
頼みの赤軍はワルシャワにある川の対岸まで来ていましたが、ほとんど力を貸しませんでした。
戦車を持たない市民はなす術がありませんでした。
そして、8月31日国内軍は分断されていた北の解放区を捨て、南側の国内軍と合流。
それも長くは続かず、9月末には国内軍のほとんどが殲滅され終結しました。
この戦いによって約22万人が、戦死もしくは処刑されたと言われています。
その歴史が映像や、実際の新聞手紙などを通して分かるのが、この博物館です。
戦闘機も展示されています
上記に軽く書きましたが、全て英語かポーランド語なので、先に少し予習しておくとより面白いと思います。
近代的で、わからなくても楽しめるようにはできていますが、日付ごとに出来事を追えるので、大まかに知っておくとより面白いです。
ヨーロッパの博物館の中でも、5本の指に入るぐらい面白かったので、オススメです。
そういえば、ソ連軍がどうなったか書いてませんでしたね。
ソ連軍はその後、ドイツ軍により廃墟になったワルシャワをドイツ軍を追いだし、占領しました。
背景には、ソ連反対派を殲滅する意図があったと言われています。
これから、バルト三国に入るので、ソ連の話はまたその時にしましょうか
ワルシャワの夜…
新市街の方も結構回ったので、遅くなってしましました。
中央駅付近には文化科学宮殿がそびえています。
たいそう立派な建物で、ワルシャワのどこからでも見えそうなぐらいデカいです。
これは、スターリンからの贈り物として、1952年から4年の歳月をかけて建てられました。
まあ、ワルシャワ蜂起の話を聞いてても分かるように、ソビエトはワルシャワ市民に人気がないです。
このワルシャワに似つかわしくない建物を皮肉って「ソビエトの建てた、ワルシャワの墓標」と言っている人もいます。
更に、夜は悪趣味な色に光りますw
毒々しすぎるw
夜は、ホステルでおいしいポーランドビール
とおつまみw
ドイツから毎日飲んでいますw
ともかくドイツ近辺はビールが美味しくてたまりません!
しかも、ポーランドに入ってさらに物価が安くなったので幸せです!
まだまだ周辺国を周るので、飲みすぎないように気をつけようと思います!
さて、それでは明日はポーランド生まれの有名人を訪ねようと思います…
本日のお宿 Patchwork Warsaw Hostel
中央駅からも近く観光しやすい。各部屋にロッカーあり。
しかもキッチンも広くて使いやすいし、何より全体的にキレイ!
Wi-Fiも早くて、1日はのんびりパソコン作業しました。
スタッフもとても親切だったし、おすすめホステル。
旅メモ
ヴィラヌフ宮殿 20ズウォティ
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