失われた器にかける思い…イランのラスター彩と日本人!【世界一周29ヵ国イラン】

2018年9月4日




本日はイランの博物館とゴレスターン宮殿に行きたいと思います。

イランの博物館はどうしても見たいものがあるので行きます。



その前に両替。



数字はペルシャ数字
慣れたので読める

あまり首都はレートが良くないと聞いていましたが、そんなことはなかったです。

1ドル=120,000リアル
100ドル替えなら
125,000リアルだそうです。(2018年9月4日当時)

けど、次の日交換したら100ドル替えで
1ドル=140,000がいたので、これでも悪かったのかもしれません。


入国時より30万リアル以上上がってる…




スゴイ事態だなw


両替屋さんは、銀行が多いFerdowsi駅を出た所にあります。







それから歩いて、イラン考古学博物館(イラン国立博物館)に行きました。





ここは2つに建屋が分かれていて、本館がイスラム文化前、別館がイスラム文化の展示になっています。



どちらも捨てがたいぐらいいい収蔵品を備えてますが、余程のマニアではない限り、本館で充分です。

ただ、私の本当に見たいものは別館にあるので私はそちらにも行きました。






まずは本館から、ここには原始時代から7世紀までの遺跡からの出土品が飾ってあります。



2階が打製石器や磨製石器、土器などが飾られています。












そして、1階が今までイランで見てきた、シューシュやペルセポリスなどの遺跡の出土品の展示です。

入り口から入って、右側から進むと順番通り観れます。





アフヴァーズとか遺跡系を巡った人は、特におススメです!
なぜなら、今まで行った遺跡の有名出土品はすべてここに集められているからです。



私は、このチョガー・ザンビールの楔形文字だらけの牛が見たくてここに来ました。



これはここにしかない

これはあのジッグラトでの北東門から発掘されたものです。


そして、次がペルセポリスの出土品です。
「謁見図」「牡牛の柱頭」など…




そして、次がアケサス朝パルティア、ササン朝と続きます。






大体今までまた遺跡の重要品がここに展示されてるので、一見の価値があります。


私は大興奮で回ってましたw





一人の日本人とラスター彩



そして、別館。




まあここら辺からは偶像禁止になってくるし、大して面白い物は無いのですが、私がどうしても観たかったものがあります。






それが、ラスター彩です。




独特のしっとりした金色の輝きが特徴


この博物館に展示されているラスター彩が、1人の日本人の運命を変えたのです。

それは、美濃焼で人間国宝に指定された加藤卓男氏。





彼はここで、ラスター彩に出会ってから、それに魅了され、自らの手で作ることを決意するのです。





しかし、それには大きな問題がありました。

ラスター彩は3世紀前に、忽然と歴史から姿を消してしまったのです。





そして、長年その製法、製作過程は謎とされてきました…





そもそも、ラスター彩とは伝統的なペルシャ陶器の一種。
9世紀メソポタミアで誕生し、西アジアでは技巧・工芸美共に頂点を極めたとも言われる焼き物です。



ラスターとはペルシャ語で「輝き」という意味です。その名前の通り、ラスター彩の特徴は、その光沢。
まるで金のように輝いていながら、落ち着いた色の発色。その輝きに多くの人が魅せられてきました。


加藤氏は、その魅力に魅せられたものの1人、1961年ここでラスター彩を見てこの幻の名陶の復活を決意するのです。






しかし、その道のりは簡単ではありませんでした。
先ほども言った通り、18世紀に失われたラスター彩は、釉薬や作り方といった基本的な情報すら残っていなかったのです。




陶片を徹底的に調べ、釉薬や土を調べて、自ら試作品を作成したり、調査の為に世界を回り、イランを何度も訪れる事



7年…



それでも分からなかった、ラスター彩の製法。





しかし、救いの手が差し伸べられます。
テヘランの大学を訪れた際、ペルシャ陶器研究の第一人者である、故アーサー・アップハム・ホープ教授が残していた、膨大な資料の中にそのヒントがありました。
釉薬、焼成時間、釜の設計図など、ラスター彩の製法が詳細に記載されていたのです。


その後、研究は一気にはかどり、程なくラスター彩と言えるものを完成させます。





1976年、イランの考古学センターの所長に見せたところ、イラン考古学博物館での展示会の開催するまでにこぎつける事が出来ました。





しかし、彼の夢はここで終わりません。





彼はイランへラスター彩の里帰りをさせたかったのです。また、遺跡などに使われている、ラスター彩の修復にも役だてる事を考えていました。




モスクのタイルにも使用されていたラスター彩




しかし、彼の生きているうちに里帰りは実現できませんでした…




1779年、イラン革命が勃発。続いて、イラン・イラク戦争。


その後も混乱が続き、2005年加藤氏は亡くなりました。






しかし、話にはまだ続きがあります。


彼の意思を継いだのは、息子の加藤幸兵衛氏でした。

幸兵衛氏はイラン人との交流が重要と考え、イランの駐日大使との交流を続けました。



そして、2011年イランを訪問。
それがキッカケで、故郷での初展覧会を開く事が出来たのです。





そして、現在はラスターの技術の里帰りを目指し、イラン人を日本に呼び、技術を伝える事に尽力しているそうです。






そんな、運命のラスター彩の本物をこの目でみたくここを訪れたのです。

ラスター彩の輝きは、確かに他の陶器に見ないものでした。
今は、加藤氏のラスターは展示されてませんが、ぜひその輝きを見に来てはどうでしょうか?










ラスター彩に満足した私は、次に世界遺産ゴレスターン宮殿に行きました。



ゴレスターン宮殿はテヘランが首都に移された直後使われてたもの。
ここも、基本の入場料は15万リアル。
しかし、ホワイトパレスと同じで、博物館を追加する度に8万リアルかかります。

私は一番キレイと言われる「タラーレ・アスリ」だけ中に入りました。
ここだけは15万リアルにされています。




ここは、ヨーロッパの使節団を迎えた応接間


鏡の間



などなどとってもきれいです。個人的には、ホワイトパレスよりオススメです。


そこでてから、シャムス・オル・マーレを外から眺めて…


中は博物館になっている

タフテ・マルマルの建物を眺め…

中の大理石の玉座がすごいんだって


庭のうまく撮ればインスタ映えしそうな、かわいいタイルを眺めて…



帰りました。




なにせ、考古学博物館ですべてのやる気を使ったので、気が抜けた文章でごめんなさい笑

建物自体はとても綺麗でしたが、何分私にとって重要なのは考古学博物館だったのでw




けど、非常に充実した1日でした。

 夜は家族でご飯!


本日はお母さんお手製のナゲットと沢山の香草とフレッシュ野菜!
オリーブも盛られててオシャレ♪

この香草の盛り合わせ、数種類のハーブが入っててとても美味しいのだけど、日本で再現できないものか…


そして…


名前は思い出せないけど、ミルク粥!

ナッツを散らして食べて…これがめっちゃおいしかった!


食後は、みんなでラクダレースを見ながらのんびりしました。

イランらしいテレビ番組w

意外とラクダって、早いんだなぁ…




旅メモ

イラン考古学博物館(イラン国立博物館)
本館 30万リアル


別館 20万リアル

ゴレスターン宮殿 15万リアル
博物館追加 8万リアル

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