カウナスにある杉原千畝記念館に行ってきた!【世界一周37ヵ国目リトアニア】

2018年10月12日 その1







今日はリトアニア第二の都市、カウナス観光です。




今の首都はヴィリニュスですが、カウナスは長きにわたって、リトアニアの首都だった場所です。

ヴィリニュスはポーランドの侵攻で失ったり、ロシアやらドイツやらに侵攻されたりで、長きに渡って占領され続けてきました。



なので、第2の都市と言っても、結構栄えてます。





まあ、栄えてるって言っても、ヴィリニュス同様そこそこレベルだけどw





リトアニアにある一人の日本人の為の記念館




カウナスには旧日本領事館があります。



まず訪れるのは、そこ


今は杉原千畝記念館になっています。






皆さん「命のビザ」って知ってますか?



彼が、ここリトアニアで、電車が発車する去り際まで、ユダヤ人に発行し続けたビザ。



話は、第二次世界大戦に遡ります。

1939年その時、リトアニアは西側にあたる地域しか残されてませんでした。他はもうリトアニアの領土ではありませんでした。

北のラトヴィア、エストニアが既にソ連に占領され、ポーランドはドイツとソ連は2カ国により占領されていました。



しかし、それでもなおリトアニアは、カウナスを首都とした西側だけは、独立を保ってました。




そんなリトアニアに、ポーランドのユダヤ人が大量に逃げ込んできました。




ナチスから逃れる為です。




そして、彼らは日本領事館に殺到したのです。



理由は、日本の通過ビザを求める為に






ユダヤ人が日本領事館に殺到した訳…



その時、ナチスドイツによって逃げ道が閉ざされた、彼らの残された道は一つでした。


ここからモスクワに行き、シベリア鉄道を通って、日本に渡り、そこからカリブ海に浮かぶオランダ領のキュラソーまで行く。


上手くドイツの目をかいくぐり、長い長いみちのりを通って、他国の領土まで逃げるのです。

それも、地球を半周以上した先のカリブ海にある島に…



もう、彼らが日本領事館に殺到した時、キュラソー島の領主であるオランダのビザも、ソ連のビザも出ていました。




あとは、日本のビザだけ…


そうなって、ユダヤ人達は日本領事館に殺到したのです。






杉原氏の苦悩と決断



杉原千畝氏はこの時、領事館に住んでいました。




朝窓を開けると、外に沢山の人が殺到しているのにびっくりしました。
中には小さな子供もいて、必死になって杉原に対して訴えていました。


彼は事情を伺うため、代表者を招き入れ、ビザの話を聞きました。



しかし、事態は簡単じゃありません。

杉原氏の立場は難しいモノでした。


初めに、杉原氏は日本本国に、ビザ発行を打診します。


しかし、本国の回答は「ノー」でした。


それもそのはず、その時日本は、ドイツと既に同盟を結んだ後でした。


ユダヤ人を逃がす=ドイツへの裏切り行為

を意味するのです。

日本が首を縦に振れるわけありません。


杉原氏は悩みました…


このまま、この人達にビザを発給しなかったら、彼らはナチスに捕まり、強制収容所送りになります。


しかし、発給すれば、自分と家族がどうなるかわからない




そして、悩みの末、決意するのです。



「ビザを発給しよう!」



こうして、来る日も来る日も、ビザを書く日が続くのです。




最後の一秒までビザを…



彼の書いたビザは、およそ2100と言われています。



当時発行されたビザ



そして、救ったユダヤ人は6000に登ると言われています。
※当時は家族ビザだった為、両親のビザが子供のビザとなった



そして、ビザを書いた時、彼らに必ずこう言ってもらうようにしてました。


「ニッポンバンザイ」

いつかこれが、祖国の益になるかも知れないと




しかし、そうしてる間にも、ソ連がリトアニアを併合しました。



ソ連は全ての外国大使館を閉鎖するように、通達しました。

彼自身にも危険が迫っていました。



それでも彼はビザを書き続けました。



しかし、限界がきてリトアニアを離れれ、ベルリンへ向かうことになりました。


ベルリンに向かう列車の発車ギリギリまで、彼はビザを書きました。



列車は発車しましたが、まだユダヤ人が追ってきます。



彼は、追ってくる人のビザも書き続けました…


それも限界が来て、遂に最後のビザが列車から宙に舞いました。




そして、ユダヤ人が電車を見送りながら叫ぶのです



「ニッポンバンザイ!」



こうして、救われた彼らは、ソ連を渡り、日本に大量に押し寄せました。



当時の新聞にも、その光景が乗ったそうです。



こうして、彼の勇気ある行動で、多くのユダヤ人達の命が救われたのです。



私の話は触りですが、もっと理解したい人は唐沢寿明主演で映画も作られています。


実際に来たようです

ぜひ、そちらもみてみてください。



さてさて、これももちろん感動的なのですが、これは表の話。

もう一つ話があります。




もう一人のシンドラー



日本のシンドラーとも呼ばれた杉原千畝氏。



しかし、この話にはもう一人のシンドラーがいます。


実はこの話は、オランダのキュラソービザがないと始まらないのです。


もう1人立役者、むしろこの人が初めという人がいたのです。



それが、ヤン・ズヴァルテンディク氏。
オランダ領事代理です。




キッカケは彼が、オランダ系ユダヤ人にキュラソービザを発給した事


なぜ、影が薄いかと言うと…


彼は正式な領事ではなかった為、本国オランダであまり評価を受けなかったのです。




しかし、近年見直されてきて、彼の評価が変わってきています。



彼のために「光のモニュメントを建てよう!」という計画まであります。
※千畝氏は月光のモニュメントがヴィリニュスにあります。


杉原千畝氏もすごいですが、彼がやはり最初に称賛を浴びるべきですよね。






杉原千畝氏が見ていた世界の真実



そして、もう一つ、何故あの時、杉原千畝氏はカウナスにいたか?



当時リトアニアには、実は全く日本人がいませんでした。


そしたら領事館なんて必要ないですよね?


けど、何故領事館を置いたのか?




それは、彼が諜報活動を行なっていたからだと言われています。



当時、外国大使館はこぞって、カウナスに居を構えました。


ここは、ソ連とナチスドイツに挟まれた場所。


両者の同行を探るには格好の場所だったのです。



事実、杉原氏はドイツが「独ソ不可侵条約」を破って、ポーランドに侵攻する事を掴んでいました。



日本の同盟国は、条約を破る国




そう本国に伝えていたはずです。


だからこそ、彼はビザを書いたのかもしれないです。

目先の事だけでなく、大局を見てたのです。


その先のずっとずっと先を…





まあ、それが嘘か真か…

どちらにしても、彼の残した功績は素晴らしいです。






何より、戦争という時代に「普通に正しい事」をするのが、いかに大変か。



KGB博物館


ベトナムのトゥールスレン虐殺博物館


そして、これから行くアウシュビッツ



どれも今となっては、「何て馬鹿な事をしたのだろう」ですが、当時はそれを口にしたら自分がどうなるかわかりませんし、教育で矯正もされてましたからね。



どれだけ正しい事を見極め、貫くのが大変か



自分は世界一周を期に、実際に現場に足を運び、資料を読み…

最近は、色々自分でも調べ直しています。




「ワルシャワ蜂起」なんて、名前しか習った事がなかった。



しかし、そこには沢山の思惑があって、小さいながらもそれに立ち向かった人がいた。



決して救われる結果ではなかったもしれないけど、それを忘れてはいけないと思った。



そして、真実はどこにあるのか、もっと大きく見なければいけないな



何故今この国が戦争してるのか?


真実はもっと奥にある。


今じゃなかなか気がつけない。


けど、いつか気が付いた時に、何でこんな事をしたか真実が見えてくると思う。

目先の事実なんかに振り回されて、本当の真実を知らないで、間違った選択をしてはいけない。


その結果が、戦争や虐殺であるのだと思う…




自分が海外に出てみると、自分があまりに世界について無知なのかが本当によくわかる。


大体に日本はもっと世界のニュースをやるべきだと思うよ!

海外行くと、バンバンそう言うものが流れてる!


日本のテクノロジーすごいね!

日本優秀だね!


っていう、テレビやってる場合じゃないと思う!



日本は本当に乗り遅れていってしまうよ






長くなった




カウナスの観光と行きたいところだけど、長くなったので、一旦切ります。



明日午後の観光について書きます。


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