凶悪都市ヨハネスブルグを観光!もちろん、危ないのでツアーで回ります【世界一周13ヵ国目南アフリカ】

2018年1月16日


ヨハネスブルグ、バックパッカーの間では、ダルエスサラーム、ナイロビに並んでアフリカ3大凶悪都市と言われています。

そして、アフリカで一番危ない都市と言われており、昼夜犯罪が横行するとか



そんなヨハネスブルグはBrown sugar Backpackers に私は滞在しております。


折角の凶悪都市、ヨハネスブルグに来たのに、ただホテルに引きこもってるのも、私の性に合いません。

何か、安全に観光をする方法はないか…

あわよくば、ネルソン・マンデラが住んでた家があるそうなので、ロベン島を逃した私としては、是非とも行ってみたいです。


それで、宿の人に、マンデラハウス行きたいのだけど、と相談してみたら、宿のツアーを紹介されました。



お値段、半日ツアーで、650ランド。


高いですが、安全はお金です買えます!
命の為です。ここは惜しげも無く使いましょう!



朝10時半ぐらいに宿に着いたのですが、すぐ部屋に通してくれて、そのままシャワーを浴びました。

それから、お昼を軽く食べて、13時過ぎにガイドの人の車に乗って、ツアースタートです。

500mlのお水が一本無料で付いてきます。



まずは、アフリカで一番高い建物、カールトン展望台へ。




ここからは、360度ヨハネスブルの街並みを見渡せます。


このタワーの隣にホテルが立ってますが、犯罪が横行した為、潰れたそうです。


すごいな笑


中心街のお店は全て17時には閉まるそうです。



そして、誰もいなくなります。



もちろん、危ないからです。怖いですね~


そして、南アフリカワールドカップの会場となったスタジアムへ




それから、私がどうしても行きたかったマンデラハウスへ



マンデラの家は、ヨハネスブルグの危ないと言われているSoweto ソウェト」と呼ばれる地区にあります。ソウェトについては後で説明しましょう。


マンデラハウスの周りは観光地で、お土産の露店が並んでいます。



ここはマンデラが1963年、逮捕されるまで住んでいた家です。

そうそう、マンデラは生涯3回結婚をしています。
その時は、一番最初の奥さんと一緒に住んでいました。


彼は長い間、刑務所で過酷な労働を強いられてきました。後に国際社会から、アパルトヘイトへの批判が高まり、マンデラは釈放されます。
1990年に釈放された後で、11日間だけこの家に戻ってきましたが、彼に対してのインタビューが殺到したため、この家をすぐ去ったそうです。


ここには、マンデラが実際に使用していた、靴やキューバのフィデル・カストロと写っている写真などが展示されています。



マンデラが履いていた靴

カストロと…



そこを出てから、ヘクター・ピーターソン博物館に行きます。

ここもソウェト地区にあります。

それでは、ソウェト地区について説明をしましょうか。
「Sowetoソウェト」とはsouth west town」これを縮めた名前です。
ヨハネスブルグの中心街から、名前の通りちょうど南東に位置しています。


ソウェト地区

中心街からはかなり離れており、車で行かないと遠いです。

そして、ここがアパルトヘイトにより黒人達が強制的に移住させられた、地区になります。
この街は、アパルトヘイトが生んだ街なのです。



ヘクター・ピーターソン博物館では、その当時の様子やアパルトヘイトの実態を動画で見る事ができます。


ヘクター・ピーターソン博物館

そして、この博物館の名前の由来となっている、ヘクター・ピーターソン


彼は当時、たった13歳の少年でした。


彼ははアパルトヘイトによって、死んだ最初の犠牲者だと言われております。




事の発端は、政府がアフリカーンス(アフリカに住むオランダ系の言葉)を、学校の必修科目に強制導入した事に始まります。



それに反対した学生達がソウェトで蜂起、2万人にも及ぶ大規模なデモとなりました。


そのデモに対して、軍隊が発砲。
最初の犠牲者となったのが、ピーター・ヘクターソンでした。



それが、1976年6月16日の話です。その日は、128名の死者を出し、黒人達にとって忘れられない日となりました。


もう一度言います。

このピーター・ヘクターソン博物館は、アパルトヘイトや反対運動の様子などを動画や写真で知ることができます。


動画です。

絵画とか、写真だけじゃないところが、本当につい最近まで、アパルトヘイトという現実があったことを思い知らされます。



今でもヨハネスブルグの4000万人いる人口のうち、およそ3000万人がこのソウェトに居住しております。

ケープタウンでは感じませんでしたが、ここではアパルトヘイトが実際あって、そして今も、覇権は白人が握っているという事を実感させられました。



博物館前に建てられている石碑
撃たれたクターソンはここにヘ運ばれてきたそうです



だから、未だにヨハネスブルグは治安が悪いままなんでしょうね。

治安が悪いと言われてているソウェト地区ですが、ガイドの人曰くヨハネスブルグの中心街の方がよっぽど危ないようです。


確かに黒人がゆったり住んでるだけの様な気もします。




実際のところはわかりませんが…


ケープタウンは完全に観光地だったけれど、ヨハネスブルグは南アの抱えている問題が垣間見えて、怖いけれど、歴史好きの私には面白かったです。



さて、ツアーが終わって帰って、スーパーに買い物に行きました。






この宿から歩いて20分程の所にチャイナタウンがあり、うどん、蕎麦、大根、ニラなどアジアンな食材が何でも揃います。


チャイニーズなうどん

私が訪れると、みんな親切です。アフリカの国にいると、アジア顔に出会うとホッとするんですよね笑
アフリカにいる中華系の人は、みんないい人ばかり!


美味しいキムチを試食させてもらいました。

量が多かったので、買えませんでしたが…



今日は、青梗菜とシメジの肉味噌炒めとシメジワカメスープです!





久しぶりのアジアンな食事に、かなり幸福度が上がりました。
やっぱ、食べ物重要‼︎



チャイナタウンの為だけに、もう一泊しようかなぁ笑

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ヨハネスブルグに新年泊まった人は、「宿の外で殴り合いが始まり、怖かった」と言っていました。
やはり、ヨハネスは怖い都市みたいです。
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