タージマハルとファティブル・スクーリーの行き方【世界一周20ヵ国目インド】
2018年4月21日
今日は朝早くからタージマハル行くつもりだったが
朝寝坊した。
言い訳するとアラームが鳴らなかったからだ。
6:00にタージマハルが開くそうなので、その前に行こうとしたら、5:50に起きてしまった。
唯一の救いは、宿からタージマハルが近い事。
10分で準備して出発。
歩いて、5分もたたないうちにタージマハルに着いた。
前より更に値上がっていて、1000ルピーだった。外人からぼり過ぎ
しょうがない、インド来てタージマハル見ないとか、インド映画を見て最後にキャストが踊らないくらい、意味のないことだ。結局、無意味になったけど…
1番最初の門をくぐると、見えてくるのが、白亜の霊廟タージマハル。
ご存知の方も多いと思うが、これは大きなお墓である。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛して止まなかった妃ムムターズ・マハルのために、彼女の死後に建てたものだ。
彼が皇帝の時、ムガル帝国は絶頂期を迎えていた。
彼が皇帝の時、ムガル帝国は絶頂期を迎えていた。
この建物は1653年に完成。王妃の死後、22年の歳月と膨大なお金をかけて作られた。
彼の愛の大きさとも言えよう。
中は写真禁止なので、文章だけ。
中に入ると、建物の中心となる部分にお墓があります。これがムムターズ・マハルのお墓。
中心からズレた左隣がシャー・ジャハーンのお墓です。
なぜ、建物の中ど真ん中が2人の真ん中ではなく、王妃の墓が中心なのか疑問を持つ方もいるでしょう。
実は、タージマハルはもう一つ建築予定だったのです。
昨日夕日を見た対岸はその建築予定地。シャー・ジャハーンはここに黒いタージマハルを建て、この二つを隔てる川に橋をかける予定でした。
シャー・ジャハーン自身は、この黒いタージマハルに死後、眠ることになる予定でした。
しかしながら、彼の後継者争いが起きた為、皇子の1人であるアウラングゼーブは兄弟を殺し、彼を幽閉しました。
その為、黒いタージマハルの工事は取り止めになりました。
シャー・ジャハーンの余生は、アーグラー城の一室から、タージマハルを眺める寂しい日々を送ることとなります。
そして彼の死後、彼は妃の隣に作られたお墓に入りました。
これは当初予定になかった為、2人の墓が真ん中を中心に、対照に並ばなかったのです。
黒いタージマハルが建っていたら、彼は妃の隣に眠る事もなかったので、これが良いと言えば、よかったのかもしれませんね。
そして、タージマハルを、後にしてホテルに戻って朝ごはん。
荷物をまとめてチェックアウト。
それから、「ファテーブル・スィクーリー」という所に向かう。
実はこっちの方が私は好きだった。
実はこっちの方が私は好きだった。
トゥクトゥクで100ルピーで、イードガーバススタンドへ
そこからバスに乗って1時間20分、近郊の街ファテーブル・スィクーリーに行ける。
バスは30分ごとに発車している。注意が必要なのは、ファテーブル・スィクーリーの街中まで行くバスに乗らないと、遺跡まではトゥクトゥクに乗り換える羽目になるのだ
バスは30分ごとに発車している。注意が必要なのは、ファテーブル・スィクーリーの街中まで行くバスに乗らないと、遺跡まではトゥクトゥクに乗り換える羽目になるのだ
えっ、これ動くの?
てか、前方がスッカスカなんだけど!
一抹どころか、百ぐらい不安を抱えたまま乗り込んだ。
やはり前方のスッカスカ具合は変わらないので、不安なのは変わりない。
とりあえず、夕方電車でデリーに帰るので、早く発車してほしい。
そして、9時に発車。そのまま1時間20分で目的地に到着する。ちなみに終点まで乗ることになる。
結構よかったのに写真で伝えられないことを、非常に残念に思う…
世継ぎに恵まれなかったアクバル帝は、ここに住んでいたシューク・サリーム・チシュティーの予言によって、男の子を授かります。
それに喜んだアクバル帝は、首都を移転させる事をきめます。
しかし、水不足の為、わずか14年という短い期間で、都を移転させる事となりました。
遺跡はかなりキレイに残っていて、タージマハルの70年前に出来たとは思えない。
入り口となる門も、タージマハルと比べるとかなり大きい。
入る時は靴を脱ぐ事になるので、サンダルなど、脱ぎ履きしやすい物が良いでしょう。モスクの部分は入場無料です。
そこで、自称ここで働いてる人に捕まります。
いや、金払えないから、ガイドはいらないよ!
と言ったのですが、
オレはムスリムだ!金はいらない!
そう言うムスリムの人、世界で沢山見たけどね笑
まあ、何度も念押ししたし、余りにしつこかったので、好きにさせてあげる事に…
まず入って右に石が並んでいますが、これはお墓です。
建物の裏までお墓が広がっています。
建物の裏に行くと、扉があります。
これはあのタージマハルまで続いてるそうです。
そして、大理石の使われた何とも豪華な建物。
これは男児を授けた預言者シューク・サリーム・チシュティーのお墓です。
彼のエピソードにあやかってか、ここのお墓の壁の細工窓に紐を結ぶと、願い事が叶うと言われています。
ちなみにイスラム教の場所なので、ショートパンツで来た私には、腰に布を巻かされました。
それが終わり、自称ここで働いてると言った彼、やはりお土産を売りつけようとして来たので、めんどくさいので、バイバイしました。
唯一面白かったのは、ここの広場。
当時の王様が、ハーレムにいた女性たちを駒に見立てて、ボードゲームをしたそうです。
遺跡をフラフラしてるとインド人に
「フォト!」
とよく声をかけられる。
「私なんか撮ってどうすんだ」と思いながら、いつも勝手に人様の写真撮ってる分、断らない主義なので、ちゃっかり写った。
帰り道、坂を歩いてたら石に滑って、こけた。
近くにいたインド人の青年達が笑いながら助けに来てくれた。ついでに、写真をお願いして来た。
ホントそんなのどうするんだろう…
帰りも同じバスに乗り帰った。
そして、バススタンドからトゥクトゥクに乗って、もう一箇所観光しに行った。
ここは、シャー・ジャハーンが晩年に幽閉されていた塔がある。
そこから、見えるタージマハルを見るシャー・ジャハーンはどんな気持ちだったのだろうか…
そんな感じで思いを馳せるのが、好きなんですよね
キモいなぁ~歴史オタク
ペーターと言われる甘いお菓子だ。
北インドからパキスタンにかけて食べられているお菓子だが、アーグラーの物が特に有名。冬瓜のような実を切り分けて、シロップを染み込ませたお菓子だ。
色々な色や形があり、味も様々なのだが、私が選んだのは白い棒状のもの、噛むと甘いシロップとココナッツの香りが口いっぱいに広がる。
香りはいいが、日本人には甘すぎとも言える味だ。
帰る途中、タージマハルの近くを通った。
アイスを売っていたので、買いました。
するとそいつを狙う黒い影が…
サル
私のアイスに目をつけて、肩に乗るかと思うぐらいの勢いで襲いかかって来ました。コワ
kなんとか取られずに、すんでの所で避けた。
しかし、彼等は諦めなかった。
また、私と目が合うと狙いを定めて来た。
とりあえず、近くにいるインド人の間を縫って逃げまくった。
インド人も若干助けてくれる。
ようやく一安心かと思いきや、まだ別のサルが狙って来てた。
私はアイスを口に入れると、腕を振って追い払った。
ようやく彼等は諦めたようだ。
本当に油断も隙もない…
てか、アイスを手放すのが一番安全なのだが、そこに至らなかった辺りに自分の意地汚さを感じる…
てか、アイスを手放すのが一番安全なのだが、そこに至らなかった辺りに自分の意地汚さを感じる…
歩き疲れたし、サルにも襲われたし、無事ホテルに着いた時は、クタクタだった。
そこから、トゥクトゥク乗って駅まで行った。
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