デリー観光!ガンディー博物館とフユマーン廟観光【世界一周20ヵ国目インド】
2018年4月22日
今日はデリーを観光しようと思う。
インドに来たら、是非ゆかりの地を訪ねたい方が3人いる。
1人はブッダ。
もう1人はマザーテレサ。
最後にガンディーだ。
今日はガンディーの記念館に行こうと思う。
ニューデリー駅からメトロのイエローラインのUdyog Bhavan下車。
トークンはカウンター番号7で10ルピーで買える。
そして、メトロの4番出口を出て、歩いて15分。
ガンディーは、インド独立の祖である。
1947年9月9日に、ガンディーはデリーについた、ここは彼の生涯で最後の144日を過ごした場所だ。
彼は1948年1月30日午後5時17分暗殺者の手で殺される事となる。
彼の何がすごいかというと、非暴力不服従の姿勢である。
読んで字のごとく、「戦争・暴力は絶対にしない」ということである。
こうすることで、攻撃する側を批判することができるのだが、難しいのは「不服従」である。
武器を持った兵士に対して、反撃はしない、しかし逃げもしない。
これには相当な勇気が必要である。
皆さんはできるだろうか?銃を持った敵が自分たちを制圧しようとしてる中、その場にとどまることが…
並の精神力ではできないだろう。
これを実行したところが、彼の強い所である。
この運動が、インドの国民の心を打ち、独立運動を活性化させた。
そして、1947年独立に至った。
しかしながら、インド国内の宗教対立は絶えなかった。
イスラム教国としてパキスタンが、分離。
それでも国内の宗教抗争は絶えなかった。
ガンディーは活動を続け、ヒンドゥー教とイスラム教の融和を目指した。しかし、彼の活動はヒンドゥー原理主義の人の反感を買い、彼は暗殺されることとなる。
彼の何がすごいかというと、非暴力不服従の姿勢である。
読んで字のごとく、「戦争・暴力は絶対にしない」ということである。
こうすることで、攻撃する側を批判することができるのだが、難しいのは「不服従」である。
武器を持った兵士に対して、反撃はしない、しかし逃げもしない。
これには相当な勇気が必要である。
皆さんはできるだろうか?銃を持った敵が自分たちを制圧しようとしてる中、その場にとどまることが…
並の精神力ではできないだろう。
これを実行したところが、彼の強い所である。
この運動が、インドの国民の心を打ち、独立運動を活性化させた。
そして、1947年独立に至った。
しかしながら、インド国内の宗教対立は絶えなかった。
イスラム教国としてパキスタンが、分離。
それでも国内の宗教抗争は絶えなかった。
ガンディーは活動を続け、ヒンドゥー教とイスラム教の融和を目指した。しかし、彼の活動はヒンドゥー原理主義の人の反感を買い、彼は暗殺されることとなる。
チケットやお札など、ありとあらゆるところに彼のモチーフや肖像画がある。
それを見ても、彼がどれだけインド国民に愛されているのかがわかる。
見終わってから、次の所へ移動
途中で、キュウリとピリ辛のソースと上げたスナックを混ぜたものが売っていたので食べた。
キュウリはあの硫黄臭いパウダーをかけられたので、おいしくなかった。
スナックのほうは美味。
そして、到着したのはインド門
ともかく大きい
カメラマンがいて、思い出の写真を撮らないかと、私に寄って来る。
いらないので、断り続けた。
ただし、池の色は私が親だったら、絶対遊ばせたくないぐらい濁っていた。
ガンジス川と比べれば、キレイなのかもしれない。
休む場所もない程ゴミが落ちてるのだが、比較的キレイなところに腰を下ろした。
そして、遊んでる人達を見ながらボーっとしてると、青年達が寄ってきて、「セルフィー!」
と言ってきた。
かなりの枚数を取って、彼らは帰っていった。
おちおちアイスも食べられないのか…
待ちくたびれたアイスの雫が、垂れそうになってた
それからは更に歩いて、別の遺跡を目指した。
結構歩いたのだが、あまりに疲れた為、最後の最後にリキシャを使った。
これは、ムガル帝国第2代皇帝フユマーンの為に、彼の妃が建築したものだ。
タージマハルに影響を与えた建築物で、インド・イスラーム建築の建物としても評価が高い。
見終わって、あと一つ「ガンディー」の史跡を訪ねたかったのだが、これからいっても、ダッシュで見なければならないだろうし、またデリーは戻ってくる予定なので、今回はパスした。
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