地元ガイドと巡るホスピタリティ溢れる街、モンサント【世界一周ちょっと戻って3ヵ国目ポルトガル】

夜バスターミナルについてから、すぐ受付で「モンサント」行きの便を調べてもらった。明日の12:25に便があるらしい。(田舎過ぎて、一日2便しかない)

重いバックパックを背を背負って歩いていると、アフリカ系のおばちゃんに声をかけられた。不思議なおばちゃんで私の腕をがっしり掴むと、そのまま私を引っ張って行き、宿を教えてくれた。
そして去り際にベソ(頰にキス)をされた。



何か良いことがあるかもしれない笑


さて、私の泊まった「HI hostels Castelo Branco 」はバスターミナルから遠いが、カステロブランコの城にはめちゃくちゃ近い。チェックアウトは12:00までなので、荷物を置いて、少しお散歩することに。

坂を登って…登って…
街の中で一番高い所に到着!




景色最高ー‼︎


そして何もなーい笑


ここは、国境の町なので、常に戦果にさらされていた為、貴重な史跡などはそんなに残ってないそう。廃墟だけがぽっつりそびえていました。

けど、お散歩するには最高でした!



宿帰って、バスターミナルでボーっとお昼ご飯のリンゴをかじっていたら、日本人の方に声をかけられました。

久しぶりの日本人だから、めちゃくちゃ嬉しかった!会うには会うけど、団体旅行が多くて結果孤独になるですよね笑



マミさんという方で、短期旅行でポルトガル旅行に来ていて、モンサントに向かう途中だったので、ご一緒させて頂いきました。


しかも、私がモンサントは民宿があると言うので、ホテルを取ってなかった。
結果、ホテルもご一緒させて頂くという、全くお世話になりまくりな事になった。

モンサントの宿は、安くても45€ぐらいと聞いていたので、腹を括っていた私にとっては有り難かった。

もうすでに、昨日のおばちゃんパワーが働いているのかもしれない。

Idanha Nova という所で乗り換え、15分程ですぐ岩山の横にへばりつくような村が見えた。


モンサントだと一発でわかった。
あれが「ポルトガルで一番ポルトガルらしい村かぁ…」

ネットでは、モンサントはホスピタリティに溢れる村だと書いてあった。
その実力を私達は思い知る事になる…



バスで着いて、お邪魔させて頂くホテルに荷物を置いた。
宿のお姉さんは、黒のパンツにタンクトップに金髪を一本に結んだカッコいい人でした。彼女はまみさんのタクシーの手配から、明日のバスの時間、私の明日のバスが早いので朝食を準備しておくと言ってくれたり、早速ホスピタリティMAXだった。



そのあと、宿を去ってふらふらしてると、一人のおじ様に声をかけられました。

君達何人だ?

日本人です。

そうか、そしたら僕は今日何もすること無いから、ここを案内してあげよう。

⁉︎

モンサントに来て、家と岩山がキレイだったで終わると悲しいからね…歴史を知って欲しいんだ!

いくらホスピタリティMAXだとは言え、タダ観光はないと思って、まみさんと「もし何かあったら逃げよう」と話していた。

おじ様はメンディさんと言った。(苗字は残念ながら、関口では無い笑)


まずメンディさんは、
近くの家を指差して、

モンサントの初めてできた、医者の家だよ!


と教えてくれた。

その先の道を降り、私達にベンチの様なものに座ってくれと言って来た。


裏を触ってご覧。

触ると穴があった。実は私達が座ってたのは、「昔キッチンだった」そうだ。

下で火を焚いていたそうだ。

そして、隣のベンチも指差して、


真ん中に穴が空いてるだろう?
コレは昔、水汲み用の木のポンプがついていたんだ。

そして、村のシンボルとも言える時計台に来た。
この上にある銀のニワトリがあるんだ?これはレプリカだが、大本はポルトガルの13の村の中のベスト1に選ばれた時のトロフィーを象ったものなんだ。大本はどこかの家にしまわれてるよ。



地面のチョークで書かれた矢印を指差していった。



コレは来週自転車レースがあるんだ。それの道順だよ!結構有名なレースなんだよ‼

びっくりした。モンサントの道は急だし細いし…けど、手が滑って硬い岩壁にぶつかったら、怪我じゃ済まない。
ここで、自転車レースをやるなんて、中々命知らずだ。



次に、扉について説明してくれた。
この3つ違いがわかるだろうか?


扉がはまっている岩の角が違うのだ。
まず、1枚目。角が角ばったままなのが、が元々キリスト教だった家。

2枚目。角が斜めに削られているのが、イスラム教からキリスト教に改宗した家。よく見ると扉の横に十字架がある。改宗したから殺さないでくれという意味らしい。

3枚目。角が斜めに削られ、更に半月の様になっている。これはがイスラム教から改宗しなくて、この地を去った人の家だ。




ちなみにこういう、扉もある。


コレはイスラム教の寺院や集会をしていた家だそうだ。



そして、道で頻繁に見かける十字架を指して言った。


十字架は村に30ある。昔は、通る時祈りを捧げる場所だったそうだ。今はやる人いないけどね笑



次に井戸を指して言った。



ここにポルトガル語で書かれてるだろう?これは、旅人がここに着いた時に飲んでも大丈夫だよ。の意味で書かれているそうだ。
ここの岩の下には地下水が流れているんだ。今は各家庭がその水を組み上げているんだよ。

しばらく歩くと、扉があった。この家の上にはドクロが描かれていた。





ここは昔、処刑人の家で、王様の命令でムスリムや罪を犯した人の首を切っていた。ちなみに扉の左下に着工年数が書いてある。

1602年…

隣は彼の両親の家だと言っていた。メンディはモンサント育ちだそうだ。



そして、岩に挟まれた扉の前に来た。



右上の看板はポルトガル語で「太陽の岩」と書かれてる。もちろん、屋根は一枚岩で出来ている。



展望台があり、そこから、モンサントの景色が望める。




山の上の方を指して、歴史について教えてくれた。



上に白い塔が見えるだろう?
昔戦争があり、イスラムとの戦争があり籠城戦になったんだ。長いこと籠城したけど、遂に食べ物が尽きそうになった、その時に牛に村にあるだけの食べ物を全て食べさせて、あの崖から投げたんだ。そして、落ちた時に牛のお腹が弾けて、食べ物が出た。それを見た敵は「まだ、村には沢山の食べ物がある」と思って、撤退したそうだ。

そこから時計塔方向に歩くと甕がある。


一番大きいのが、オリーブの実を溜めてたもの。
そして、小さいのが井戸から汲んだ、水を入れていた甕。昔はキッチンに置いていた。



しかし、ちょいちょい歩く度にメンディは、これは僕が所有してる家だと言ってくる。



一体何者なんだろう?

次に道の下に見える家を指差して、
あれはここのラジオ局だよ



と教えてくれた。山の上にある電波塔からを利用して流してるらしい。

そこで振り返る。すると時計塔が綺麗に見える。絶好のフォトスポットだ。




その近くに、一本の石の棒が立っていた。

処刑場だった所だ。処刑人がいただろう。ここで首を切って、崖の方で晒し首にしてたそうだ。



めちゃ怖い…

ここで、お家にお邪魔させて頂き。水とワイン、ウエハースと葡萄までご馳走になった。
ウエハースが日本で食べたこと無いぐらいサクサクで、葡萄も甘くてとても美味しかった。



お土産におススメ



家は中は外観から、想像つかないぐらい近代的だった。中は自由にしていいが、外はルールがありアンテナや室外機を隠すようにしてるらしい。
何軒か家の玄関、古いひさしがあったが、景観を守るため、取ってはいけないそう。



そして、彼が持っているホテルに案内された。
ひと家丸貸しで屋上からはモンサントの絶景が堪能できた。

二人で今のホテルキャンセルしようか笑と迷ったぐらいだ。booking .comの評価もめちゃくちゃ高かった。今はお休み中だそうだ。




道の途中でおばちゃんが人形を作っていた。これはモンサントにしか無い人形。



結婚式の時に使う物だそうだ。
ごめんなさい。細かい内容は聞き取れなかったので、土産物屋さんに聞いてみてください笑



そして、一軒のレストランに案内された。レストランの階段を降りるとテラス席に出る。
裏からレストランを見ると、巨大な岩がとてつもなく大きなタンコブのように付いている。



その下には扉が付いており、昔冷蔵庫として使われていた。今は毎月、日本企業がパーティーに使いに来るらしい笑



近くには別の洞穴があり、そこは電気が通っていて、バーとしても活躍するそうだ。





その脇には飲み水もある。





そして、夕刻近くになって、城の方を目指した。
ここの道はローマ帝国時代の岩そのままの道。側にはオリーブやコルクの木が茂っている。




途中には地中に貯水タンクがあり、村に水を提供している。

メンディさんの下が貯水タンク

城に向かう道から脇に逸れると古い教会がある。ここの屋根下の岩だが、人間の身体の一部を表している。





これが、女の人の胸で~
もう1つは男の~

もう言わなくてもわかるでしょう笑

昔はこの周辺がモンサントの村で、大昔に移動して今の位置にあるそうだ。


教会の隣には長めの穴があって、ここに人が埋められてたらしい。墓荒らしに遭った為、今は穴だけが残っている。





教会から向こうを見ると、山の裾の方に大きい集落がある。そこがポルトガル最後の村だそうだ。
その先はスペインになる。



ぐるっと
電波塔を一周して、お城へ向かった。門を入ってすぐ、左右を見ると昔の木の扉の跡が見える。




門を2個通り広場に出ると、前にドームがありその脇には大きな穴が空いている。そこが古い井戸だったそうだ。

左には古い教会がある。



そして、広場を右に行き。最後に山頂の白い塔を目指した。

おじ様は絶妙なタイミングで、私達を塔に連れて行ってくれた。
空の端は水彩絵の具のようなグラデーションに染まっていて、モンサントの街を見るとほんのりオレンジ色に染まっていた。
鳥や牛のベルのカラカラという音しか聞こえない、静寂の中でゆっくり夕日が落ちるのを眺めた。静寂はモンサントの街の時間を止めているようだった。






愛おしいぐらい、キレイな夕日だった。

8月末~9月初旬は夕日が落ちると共にスペイン側から月が登るそう。(1週間ぐらい、ピッタリタイミングが合うのは2日しかないらしい)時期が合えば、その時に合わせて来てもいいかもしれない。

暗くなり街の灯りがポツポツ点くまで、そこにいた。



それから、途中で見たレストランで私達は食事を取ることになった。おじ様とは後で夜景を見る約束をして、一度バイバイした。

まみさんがポルトガルに詳しかったので、私はこの旅で一番ポルトガルらしい料理にありつけた!

ポテトとタラのすり身を混ぜたコロッケとポテトと肉を混ぜたコロッケ

乾燥ダラを水で戻して、ソテーした物恐らく乾燥ダラはノルウェーの!笑どうしても乾燥ダラを食べたかったので、嬉しかったし、美味しかった。


lambの肉!パクチーが乗っていてこれも美味♥

そして、ビーノベルデ


これは若いワインの事で、微発泡のアルコール度が低いお酒だ。ガリシアと書いてあるけど、ポルトガルの伝統的なお酒。

ビールも飲んで、2人で46€元々贅沢するつもりで来たので、今回はこれぐらいオッケーだし、日本よりだいぶ安い!

そして、食べ終わってから、時計塔に行った。
おじ様は本当に待っててくれた。

9時に時計塔の灯りが少しの時間消えるらしい。私達はそれを過ぎてしまったので、またあの絶景ホテルに案内してくれた。

そこからはモンサントの天体ショー。
人生で初めて天の川を見た。
そして、地上にも街が星空のように散っていた。




ガイド中、メンディさんの生い立ちを聞いたが、若い頃はかなりやり手だったらしいが、ある時もういいかなとなったそうだ。そして、こうして地元に戻ってきて、ホテルをやったり、ガイドをしてるそうだ。私達を案内してる時にも、昔ガイドしたミュージシャン夫婦がメンディさんに自作のCDを持って会いに来ていた。

彼はそういう事が、今の楽しみなんだそうだ。



こっちのおじ様達は、活発で本当に尊敬する。

日本人は丁寧だし、好きだよ!と言ってくれた。

詐欺だと思い、逃げようと思った過去の自分を反省した。本当にめちゃくちゃ良い人だった。いや、むしろガイド料を払って良いぐらいのレベルだった。
彼がいなければ、言う通りモンサントはただキレイだったで終わっていた。

今回かなり長ったらしくなってしまったが、それは彼と同じ思いがあるからだ。モンサントをキレイだけで終わらして欲しくない。


最後に写真を撮って、私は彼とさよならした。



素晴らしい経験を本当にありがとう‼︎

いつかモンサント帰って来た時は彼の素晴らしいホテルに泊まろう‼︎日本のお土産を持って‼︎

にしても、今回のは、昨日会ったおばちゃんマジックなのだろうか?
初めて、不思議なものを感じた。



おまけ本日の一枚!


可愛いスペイン人の女の子♥

カメラを向けるとポーズを決めてくれた!めっちゃ可愛いし、将来のモデルさんかな笑

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